どこを切り取ってもドラマチック 東山山麓
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東山山麓で起きたドラマ
平家の全盛期に起きた鹿ケ谷事件
霊鑑寺の脇に「此奥 俊寛山荘地」と書かれた道標が立っている。俊寛の山荘では後白河上皇の「平氏打倒」という意を汲み、僧俊寛、藤原成親、成経、西光らが謀議したと言われている。
この企ては密告により平清盛に発覚した。
安楽寺-愛憎悲話
安楽寺から東へ1kmほどのところに、法然の弟子である安楽と住蓮が営む草庵があった。二人は後鳥羽上皇の寵愛する女官、松虫と鈴虫を勝手に出家させてしまい、後鳥羽上皇の逆鱗に触れる。
上皇は二人の僧を処刑し、さらに法然と法然の弟子である親鸞も流罪にしてしまう。一連の話は承元の法難(じょうげんのほうなん)と呼ばれている。舞台となった草庵を復元したものが現在の安楽寺だ。
足利義政が建立した銀閣寺
銀閣寺は、室町幕府8代将軍 足利義政が建立した寺院。3代将軍 足利義満が好んだ華美で貴族的な北山文化の象徴、金閣寺とは対象的で、わび・さびを「美」とする東山文化を代表する建築である。
応仁の乱を起こした頼りない将軍と言われることが多い足利義政だが、今も日本人の心に根付いている侘びや寂びを初めて形にした、一流の芸術家と言える。大人になってから再び訪れたい場所。
南禅寺山門から「絶景かな」
歌舞伎の演目「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)に南禅寺山門が出てくる。初演は江戸中期、その中で石川五右衛門はここから満開の桜を眺め「絶景かな絶景かな」と言っている。
ちなみに境内に忽然として現れる水路閣は明治維新後、琵琶湖の水を引くために作られた。
琵琶湖疏水建設
明治維新後、首都が東京に移り、衰退した京都をなんとか盛り上げようとした一大事業。そんなことをしなくても、京都は大丈夫だろうと思われるかもしれないが、京都の人は遷都された後の町の悲惨さをよーく知っていたのだろう。
琵琶湖から京都へ水を引くため、当時の府知事、北垣国道と当時21才の田邉朔郎が主任技師として先頭に立ち、琵琶湖疏水建設がスタートする。4年8ヶ月後疏水は完成し、今も京都を潤している。
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