浄土都市 平泉
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さらっと、平泉のはじまり
筆舌に尽くしがたい激しい争いの末、奥州の統治者となった藤原清衡(ふじわらのきよひら)は、平泉に移り町づくりを始める。前九年の役、後三年の役で地獄を見、波乱の青年期をおくらざるを得なかった清衡は、戦没者の魂を鎮めたい、争いの無い極楽浄土の世を作りたいと願ったという。
清衡が築いた都市としての原型を、二代目基衡(もとひら)が金山を財源にさらに進め、三代目秀衡(ひでひら)の時代に、奥州藤原氏の最盛期を向かえる。が、鎌倉を追い出され行く宛ての無い、源義経を助けた事で、滅亡の道を進むこととなった。わずか100年の繁栄であった。
世界遺産 中尊寺
中尊寺は慈覚大師円仁が毛越寺(もうつうじ)と同時期に開山した天台宗の寺院。その後、奥州藤原氏の初代、藤原清衡(きよひら)公が、度重なる戦で亡くなった全ての者たちの鎮魂を願い再建・造営した。
金色堂の須弥檀(しゅみだん)の中には藤原初代清衡、二代基衡(もとひら)、三代秀衡(ひでひら)、四代泰衡(やすひら)の亡骸が今も納められている。
昭和25年、金色堂発掘調査の際に、四代泰衡の首桶から約100粒の蓮の種が見つかり、中尊寺の池に植えられた。「中尊寺ハス」と名付けられたそのハスは、毎年7月中旬から8月中旬にかけ、美しい姿を見ることができる。
世界遺産 毛越寺
毛越寺(もうつうじ)も、慈覚大師円仁が中尊寺と同時期に開山した天台宗の寺院。二代基衡公と三代秀衡公の時代に大々的に造営された。当時は中尊寺をしのぐ規模と荘厳さで、歴史書吾妻鏡にも「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と評されるほどだったという。大泉が池を中心とする浄土庭園と伽藍の遺構が、静けさと美しさを感じさせる。
毎年6月中旬から7月中旬、大泉が池周辺には約3万株のあやめが咲き、参拝者で賑わう。
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