観音霊場 浅草
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浅草寺の歴史
川から出てきた観音さま!霊場としての浅草
1400年近い歴史を持っている浅草寺。始まりは飛鳥時代、隅田川で漁師をしていた兄弟が網にかかった観音さまを引き上げお祀りしたことから、と言われている。
平安初期になると、慈覚大師円仁が来山し中興(衰えた寺を復興)する。その後はさまざまな武将の崇敬を集めた。ざっくりした説明になるが時系列に以下の通り。
源義朝(頼朝のお父さん)が観音像を奉納する、源頼朝や足利尊氏が参詣する、足利一族が修繕や再建に力を注ぐ。その後時代は変わり、小田原城主北条氏綱が浅草寺を祈願所とし、修繕に力を注ぐ。さらに数十年後。徳川家康も浅草寺を祈願所とし武運を祈念する、などなど。
すでに戦国時代には霊験あらたかな寺として名が広まり、多くの篤い信仰を受けていた。
江戸有数の盛り場 浅草
江戸時代、浅草はちょっとしたお出かけ先として、または歓楽街として人が集まる、江戸有数の盛り場となっていた。
寺の北西は「奥山」と呼ばれ、茶店や見世物小屋が立ち並び、路傍には曲独楽(コマを使った曲芸)や辻講釈、居合抜、奇術などが行われ参拝客を楽しませた。それらの名人芸はやがて評判となり、徳川8代将軍吉宗も参拝ついでに度々見に来たと言われている。
東京最大の歓楽街へ
時代は飛んで明治維新後、法令により寺領が公収される。行政区となった境内(だったところ)は、1区から7区へと分けられ、見世物小屋は6区へと移された。
盛り場の流れを継いだ6区には、映画館がいくつもでき、東京最大の歓楽街となっていく。そして1890年(明治23年)には日本で初めての電動式エレベーターを搭載した眺望用高層建築物「凌雲閣」が竣工する。12階建ての凌雲閣は他に大きな建物がないため、単に12階という呼ばれ方をした。
戦争からの復興
東京大空襲によって、この辺りは全て焼けてしまった。しかし人々の観音様への信仰により、すぐに浅草寺仮本殿が完成すると、参拝客も少しづつ戻り、それを目当てに6区にもちらほらとバラックが立ち始め、暖かい物を食べさせる店などが増えていった。
1950年代に入ると、演芸場や映画館、ストリップ劇場ができ、ストリップショーの合間に漫才やコントが行われ、ここからスター芸人が何人も生まれた。ビートたけしさんや萩本欽一さんがそうだ。
浅草は再びの最盛期にはいるが、1960年代になるとテレビの普及や、渋谷、新宿、池袋など若者向けの繁華街が次々と生まれたことにより、浅草は徐々に衰退する。しかし2000年頃から地元の人たちが、浅草6区の復調を掲げ活動してるという。現在、海外からの観光客も多い浅草、地道な努力により、安定した人気を保っている。
浅草の老舗
浅草には創業100年以上の店がたくさんある。旅と食は一心同体。伝統の味をぜひ食べてみてほしい。
- 1801年(享和元年)創業 駒形どぜう・浅草本店
- 1870年(明治 3年)創業 尾張屋 本店
- 1880年(明治13年)創業 神谷バー
- 1886年(明治19年)創業 米久本店
- 1887年(明治20年)創業 大黒家天麩羅 本店
- 1895年(明治28年)創業 すき焼き 今半本店
- 1902年(明治35年)創業 どぜう飯田屋
- 1903年(明治36年)創業 紀文寿司
- 1913年(大正 2年)創業 並木藪蕎麦
- 1931年(昭和 6年)創業 うなぎ つるや
- 1937年(昭和12年)創業 風流お好み焼き 染太郎
- 1941年(昭和16年)創業 grill GRAND
- 1947年(昭和22年)創業 江戸前天丼 まさる
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