お椀を返したような、まあるい山の上にあるお城
松山の三傑を知る
松山で育ち世界で活躍した三傑がいる。秋山好古、秋山真之、正岡子規だ。
秋山好古、真之は兄弟、秋山真之と正岡子規は幼馴染で同級生という関係だ。健康で元気一杯の若者はそれぞれ、夢、志は高く、松山で懸命に勉学に励んでいたが、徐々にお金や健康の問題などの困難に襲われる。
困難な状況でそれぞれが進んだ道を知っておきたい。深刻なだけではない、選んだ道を迷わず進むことも大切なんだなぁと思わされる。
この3人を題材にした小説「坂の上の雲」司馬 遼太郎(著)と、テレビドラマ「坂の上の雲」はオススメ。ドラマの配役は、秋山好古(阿部寛)、秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)だ。※敬称略
司馬 遼太郎は本の中で、「この兄弟がいなければ、日本はどうなっていたかわからない」と語っている。
スポンサーリンク
秋山好古
秋山好古(あきやまよしふる)は、「日本騎兵の父」と云われた陸軍大将、当時弱いと馬鹿にされていた日本騎兵を、世界最強と呼ばれたコサック騎兵と渡りあえるまでに育て、日清・日露戦争の勝利に大きく貢献した。
高校生の時から家計を支えつつ勉強し、夢であった教師の道へ進む。しかし薄給で弟の学費が将来的に工面できない事から夢を諦め退職する。その後、陸軍士官学校騎兵科へ進んだ。騎兵科を選んだ理由は、他の兵科より一年早く卒業でき、早く給金を受け取れるからであった。端正な顔立ちで日本でも留学先のフランスでもモテたらしい。貧しい家に生まれたが、精進により日本の陸軍大将にまでのぼりつめた。家族思いでビール好きな一面もあり、その人となりが魅力的。
秋山真之
秋山真之(あきやまさねゆき)は、好古の年の離れた弟。親友、正岡子規と同様に帝大進学をめざしていたが、これ以上兄から学費を出してもらうわけにはいかない、と授業料免除であった海軍兵学校に入学する。首席で卒業したのち、海軍軍人として従事、さらにはアメリカに渡り兵術を学んだ。日露戦争の際は東郷平八郎元帥の下で、作戦担当参謀として活躍し、勝利に大きく貢献した。
正岡子規
正岡子規(まさおかしき)は、日本を代表する俳人、歌人。秋山真之とは同級生で、親友だった。新聞記者として日清戦争に従軍したその帰国途中に大喀血し、永い病床生活に入る。病いに臥せつつ書いた「病牀六尺」は現在も多くの人に読まれている。結核と脊椎カリエスにより34才で亡くなった。
松山旅行と本
地図のダウンロードはこちら
個人利用はもちろん商用利用も可能ですが、再配布・販売を禁止します、詳細は利用規約をご確認ください。
こちらもどうぞ
松山道後温泉(道後温泉本館/湯築城跡)
日本最古の温泉をあるく スポンサーリンク 松山のシンボル「道後温泉本館」 道後温泉本館は、 ...
地図範囲について