狭いエリアに歴史が詰まっている 伊豆修善寺
今八
宿泊自体が旅のメインになるような、高級旅館が多いです。
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源氏ゆかりの地 伊豆修善寺
鎌倉幕府初代将軍 源頼朝(みなもとのよりとも)とその妻、北条政子(ほうじょうまさこ)について少しだけ触れておく。
源頼朝は父義朝が平治の乱に破れたことで、伊豆蛭ヶ小島(地名であり島ではない)へ流される。監視役の一人に北条時政がいたが次第にその娘の北条政子と恋仲になる。
夫婦となった二人の間には、嫡男頼家(よりいえ)と次男実朝(さねとも)が誕生する(女の子も生まれているが省略)。頼朝は征夷大将軍に任命され鎌倉幕府を開いた後、数年で急死する。頼家は父頼朝の急死により若くして鎌倉幕府第2代将軍となるが、北条氏(母の家)は次男実朝を推していた。
次第に揉め事が起こり対立、頼家の後ろ盾であった比企一族は北条時政によって滅ぼされる。頼家もまた将軍職を剥奪され修善寺へ幽閉されたのち暗殺された。享年23。
頼朝の次男実朝は12歳で鎌倉幕府第3代将軍となる。成長と共にどんどん出世し、右大臣にまで上り詰めるがその翌年、鶴岡八幡宮で頼家の子、公暁(こうきょう)に父の仇として殺された。享年28。
これにより、頼朝の血を引いた将軍はたった三代で終わり、以降鎌倉幕府は北条氏の天下へと変わっていった。
実朝亡き後は、傀儡将軍として京から幼い藤原頼経を招き、政子がその後見となって幕政の実権を握った。
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地図範囲について
この地図には、修善寺温泉、修善寺、日枝神社、竹林の小径、しゅぜんじ回廊、指月殿、独鈷の湯(とっこのゆ)が含まれています。