商人の町 小江戸川越をあるく
今八
美味しいうなぎ屋が多い。有名店はかなり並ぶので注意!
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蔵づくりの町並みはどうしてできたのか
川越は、江戸初期から明治にかけ、江戸東京との物流が舟運によって盛んに行われ、商人の町として大いに発展していた。豪商も多くいたらしい。
ところが明治26年(1893年)3月、川越大火が発生する。この火事で町の1/3を焼失、その際焼けずに残ったのが蔵造り建築だった。これに目をつけた商人は、レンガ造りなどの近代的で新しい建築が流行する中、火に強い蔵造りで再建することを決め、現在の町並みが形成されたと言われている。重厚な蔵が立ち並ぶ様は見応えがある。
川越城跡
江戸時代、川越城本丸は広さ1025坪、建造物の数16棟の広い面積を保有していた。しかし明治になると城は次第に解体され、現在は本丸御殿の玄関部分と大広間・家老詰所を残すのみとなっている。中は見学可能。
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地図範囲について
この地図には、本川越駅、川越大師 喜多院、氷川神社、蔵づくりの町並み、菓子屋横丁、川越城跡が含まれています。