巨大な権力を持っていた興福寺、
庶民の信仰を集めた大仏さまをあるく
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奈良の大仏さま
東大寺盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)、通称奈良の大仏さまは8世紀前半に造られた。当時、災害や争乱、天然痘などの疫病が頻発しており、聖武天皇は状況を打破するため仏にすがる思いで、全国に国分寺を創建し、総国分寺として東大寺を造営したという。
752年に開眼供養会(大仏に魂を入れる為、目を書き入れる)が行われ、天皇、上皇を含めた1万数千人が参列し、開眼を見守ったという。この時、開眼導師を務めたのはインドの高僧だった、というのは知る人ぞ知る話だろう。
1181年、平清盛率いる平家と興福寺衆徒との戦いのさなか、偶然か狙ってかは不明だが火が出る。強風だったこともあり、東大寺および興福寺は焼失、大仏様も焼け落ちてしまった。
復興は即スタートされ、数年で大仏様が完成し、その後十数年かけて、大仏殿も完成したという。
復興に伴い作成された、南大門に仁王立ちする金剛力士立像は、奈良の仏師である運慶と快慶によるもの。これまでにない肉体美を表現し、鎌倉幕府に代わってからも売れっ子として多くの作品を残した。
巨大な権力を持っていた興福寺
藤原鎌足とその子、不比等(ふひと)ゆかりの寺院。都が京へ遷都したのちも絶大な勢力を誇り、室町時代まで大和国(奈良県)を支配し続けた。1467年に発生した応仁の乱にも興福寺別当(興福寺のトップ)が度々登場する。
奈良旅行と本
応仁の乱をわかりやすく解説。呉座 勇一[著]
応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) [ 呉座勇一 ] 価格:990円 |
奈良仏師 運慶の人生を書いた本。物語は平家による南都焼討から始まる。鎌倉武士もたくさん登場し、とても読みやすい。仏像を見る目も大きく変わる一冊。梓澤 要[著]
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