商人の町 小江戸川越をあるく


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蔵づくりの町並みはどうしてできたのか
川越は、江戸初期から明治にかけて、江戸東京との物流が舟運によって盛んに行われ、商人の町として大いに発展していた。川越からは米やサツマイモ、材木、そうめんなどを江戸へ向けて運び、江戸からは砂糖、油、調度品などが運ばれたという。船問屋は江戸に向けて人も運んでおり、船には急行、準急、各停などがあったという。また、夜に川越を発ち、昼に浅草に着くという、現在の夜行列車のようなサービスもあった。
明治26年(1893年)3月、川越大火が発生する。この火事で町の1/3を焼失、その際焼けずに残ったのが蔵造り建築だった。これに目をつけた商人は、レンガ造りなど近代的で新しい建築が流行する中、火に強い蔵造りで再建することを決め、現在の町並みが形成されたと言われている。
川越一番街商店街(蔵造りの街並みがあるメインストリート)から脇道に入ると、ポツポツ、白壁の蔵や昔ながらの住宅、門などが目に入る。市民が一丸となり街全体の文化財保存について力を入れていることが伝わってきて、いい街だな、、と思う。ただ昨今は大変な混み具合のため、できる限り混雑しない曜日を選び、ゆっくりとした散策をおすすめしたい。重厚な蔵が立ち並ぶ様は素晴らしく、足早に通り過ぎるにはもったいない。

川越 蔵づくりの町並み 写真提供:埼玉県観光課(複製・再転載禁止)注:上の写真は30年くらい前の物ではないだろうか、、通りが歩行者天国ではないため、歩道からはみ出る程人が往来し、なかなかの混雑具合だ。

川越 時の鐘 今も1日4回時を告げている。写真提供:埼玉県観光課(複製・再転載禁止)
川越城跡
江戸時代、川越城本丸は広さ1025坪、建造物の数16棟の広い面積を保有していた。しかし明治になると城は次第に解体され、現在は本丸御殿の玄関部分と大広間・家老詰所を残すのみとなっている。中は見学可能。

川越城本丸御殿(写真提供:photolibrary)

川越城の壺庭(写真提供:photolibrary)

川越城の畳の廊下(写真提供:photolibrary)
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