幕末の悲劇的舞台をあるく
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突として時代の表舞台に立った会津藩
ご存知の通り会津藩は幕末、新撰組と共に徳川将軍家に尽くし、朝敵という汚名を着せられ悲劇的な最後を迎えた。
新政府軍(薩摩・長州)はここ会津へ攻め入り激しい戦いを繰り広げるが、会津藩主 松平容保(まつだいらかたもり)を中心とした鶴ヶ城籠城は固く、ついに落とせなかった。が、松平容保は一ヶ月の籠城の末、投降した。
会津若松のあるき方
会津若松駅からスタート。市内には観光の足として「まちなか周遊バス」が走っているので、それを利用し飯盛山へ向かう。
ここでは、白虎隊記念館、十九士の墓、さざえ堂を見ておきたい。城が落ちたと勘違いし、自害してしまった若い命「白虎隊」について誰もが知っておくべき内容だ。
その後またバスに乗って会津武家屋敷に向かう。ここには西郷頼母(さいごうたのも)の屋敷が復元されている。
西郷頼母は、最後まで幕府に付くことを反対していた会津藩の家老。容保と意見が合わず追放されたと言われている。ただただ会津を守りたい全ての人にとって、幕末から明治にかけての激動は、筆舌に尽くし難い、辛く悲しいものだったろうと想像する。
武家屋敷を見た後は、いよいよ鶴ヶ城へ向かう。鶴ヶ城の赤瓦は幕末当時のままを復元したもので大変珍しく、見ておきたい。
鶴ヶ城から歩いて七日町通りへ
レトロな町並みを残すこの通りは、会津漆器、絵ろうそく、和菓子などの土産店が多く、あるくのが楽しいところ。
おまけ
★宿泊は東山温泉がおすすめ
国の文化財に指定されている老舗旅館「向瀧」をはじめ、くつろげる宿がたくさんある。
★只見線に乗ろう
JR只見線は会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結ぶ路線。只見線の見た目は東京の人間からするとなんともかわいらしい。沿線には絶景が多く、秘境路線とも呼ばれている。
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